この年、改良が加えられたフラットヘッドエンジン搭載の新型マシン「30VS」が登場。
さらに翌年には、自動車ディーラーや修理工場のサービスマン用の3輪バイク「サービカー」の発売を開始、新たな市場を開拓していく。
しかし新型導入の数ヶ月前に世界恐慌が起こり、あらゆる市場が大打撃を受けることに。
この年代からハーレーは徐々に生産台数を減らしていく。
シングルシリンダーエンジンの販売を終了。
Vツインエンジンに一本化されていく。
またこの翌年、ハーレーダビッドソンの販売ライセンスを取得していた日本の製薬会社「三共」が「三共内燃機」と社名を変更し、日本版ハーレー「陸王」一号機を生産する。
「ライバルのインディアン社に負けないエンジンを」という想いから、大不況の荒波を乗り越えて開発されたオーバーヘッドバルブエンジン。
ヘッドの形状が握り拳のようなことから、「ナックルヘッド」と呼ばれるようになった。
この後数年に渡り、技術的な変更は行われなかった。
ナチス・ドイツがポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が勃発。
中立の立場を主張していたアメリカも時代の波に飲み込まれ、翌年の日本による真珠湾攻撃を機に参戦。
ナックルヘッドとフラットヘッドの2本柱で着実に販売台数を伸ばしていたハーレーも、軍用バイクの生産に着手していくことになる。
第二次世界大戦の真っ只中、ハーレーはアメリカ政府の要求にこたえて開発された軍用モデル「XA」を発表。
BMWの水平対向エンジンを模したタイプで、地面が荒れた戦場でも走れるようにと履かせられている大きなタイヤが特徴的。
生産台数は1000台強とわずかだったため、現存するものは少ない。
また同年、初代社長のウォルター・ダビッドソンが退任、2代目社長にウィリアム・H・ダビッドソンが就任した。
1945年に第二次世界大戦が終結し、世界が落ち着きを取り戻しつつあった頃。
一般ユーザー向けの生産ラインを取り戻したハーレーは、オプションパーツやグッズの販売に注力していく。
またこの年をもって、ナックルヘッド搭載モデルの販売を終了する。
ナックルヘッドを改良し、メンテナンス性の向上や放熱性の払拭などに成功した新型のVツインエンジンが登場。
鍋のフタのようなシリンダーヘッドから「パンヘッド」と呼ばれた。
これによりハーレーの評価は一気に高まった。
この年から油圧式フロントフォークが標準装備され、走行性能が飛躍的に向上したパンヘッドの最上級モデル「ハイドラグライド」が登場。
ちょうどこの頃からアメリカ経済も右肩上がりとなり、それと歩調を合わせるようにハーレーもビッグツインを中心に、ますます販売台数を伸ばしていった。
1950年代初頭のアメリカでは、トライアンフやノートンなどイギリスからの輸入車が高い人気を誇った。
これに対抗するため、現在のスポーツスター・ファミリーの前身となるスポーツバイク「Kモデル」を発表。
1956年まで販売を続け、その後このスタイルはスポーツスターへと引き継がれていった。
ロック歌手エルビス・プレスリーが1956年式KHKモデルのオーナーだった。
わずか数年で販売を終えたKモデルに代わって登場したのが、現在も高い人気を誇るスポーツスター「XL」。
アメリカ本土を席巻していたイギリス製バイクに対抗するために開発されたモデルで、高い走行性能を発揮した新型エンジンは「ショベルヘッド」と呼ばれた。
「2つ(デュオ)の油圧式サスペンション搭載で軽快に走れる」を意味する造語から名づけられた優雅な一台が生み出された。
外装もツートンカラーで彩られるなど、豪華な仕上がりとなっている。
これ以降、デュオグライドはロングセラーモデルとして、長く親しまれることになる。
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