ウィスコンシン州ミルウォーキーにて、ウィリアム・S・ハーレーとアーサー・ダビッドソンが自転車用バイクエンジンの開発を行う。
そこにアーサーの兄ウォルター・ダビッドソンが加わり、「ハーレーダビッドソン第1号」が誕生した(単気筒エンジン/排気量409cc/3馬力)。
トマトの空き缶を利用したキャブレターなど、手作り感あふれる一台だった。
ダビッドソン家の長男ウィリアム・Aが加わり、会社として設立する。
初代社長には3男のウォルターが就任した。
ここからモーターサイクルカンパニーとして大きく飛躍、1906年は50台という年間生産台数が、一気に170台へ増加。
1907年に開発されたVツインエンジンが改良を重ね、この年に「5D」と名づけられたエンジンが完成(排気量810cc/7.2馬力)、量産販売がスタートした。
さらにチェーンドライブ駆動が主流となりつつあったこの時代に、ハーレーだけがベルドドライブ駆動を導入。
現代のハーレーの代名詞ともいうべきものが揃った。
吸気カムが装備された、排気量1000cc のFヘッドエンジン「7E」を開発。
バルブ作動が安定して大幅にパワーアップした。
ラインナップ増にともなってハーレーは生産を拡大していき、ハーレーオーナーも増加。
巷のレースでもハーレーダビッドソンのバイクが疾走していた。
低いシート高とスプリングを組み込んだ垂直フレームを全モデル標準装備とし、さらにチェーン駆動が採用されたモデルを生み出すなど、 快適な走行を実現するための新しいスタイルを模索していた。
第一次世界大戦が始まったこの年、ハーレーは当時の流行だったサイドカーの製造・販売を開始した。
またボードトラックレースなどにも注力していく。
OHV1000ccVツインエンジンを搭載したワークスマシンを投入した300マイルレース(カンザス州ダッジシティ)で、優勝を筆頭に、7位まで6台のハーレーが入賞。
「ハーレーダビッドソン」の名を全米に轟かせた。
ハーレー初のSVフラットヘッド車「横置きフラットツインV型」が開発される。
さらにサイドカー専用モデル「FS」が登場。
以降、1952年までサイドカーモデルは製造されていく。
シリンダーの脇にそれぞれ吸排気バルブを設け、それをひとつずつ独立して動かす4カムシステムを採用した「フラットヘッドエンジン」が開発される(排気量750cc/サイドバルブ駆動)。
以降、1974年まで採用されるモデルとなった。
そんな同年、世界恐慌による不況の影が忍び寄ってくる。
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